備中高松城の武士
カテゴリー:過去情報 更新日:2010.02.26
こんにちは、教員の小枝です。
今回も歴史の話をさせていただきます。
今から428年前の天正10(1582)年。
天下統一を目指す織田信長の家臣、
羽柴秀吉が毛利氏と戦った時、備中高松城を水攻めにした。
もはや、落城寸前その時、
城主である清水宗治は、自分の首とひきかえに城兵の命を助けるという、
秀吉の講和条件に喜んで応じた。
そして、
『浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して』
という時世の句を残し、敵味方の見守る中で、従容として切腹したのである。
後の天下人、秀吉を感服させた潔い最後であった。
宗治には、戦い利あらざる時は、
責任を一身ににない自分の命を捨てて部下の命を助けるという
強い責任感があったのだと思う。
日体柔整の学生の皆さん、自分の行いに責任を持った
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